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執筆者の写真RYUZO NAKATA

RYUZO NAKATA HISTOIRE-12

更新日:2021年6月21日


ウンガロ社 (2 AVENUE MONTAIGNE) のスタジオは毎朝 ウンガロ本人が音楽をつける

オーナー自ら毎日08H30には来ている

基本は 09h30からだったらしいけど 僕は誰かに騙されて

08時30には行ってたな (その後HA 09時30に)

まだ皆んな来ていない朝に ウンガロ氏とあった事もあるが

早くから来ているな、と・・・(ニコニコ)



スタジオ内の音楽は基本 CLASSIC音楽

お昼頃のJAZZ + NEWS 午後は OPERA

機嫌が良いと 仮縫いをしながら 今 ``死んだ`` とか オペラの内容を教えてくれたり

本人はオリジンがイタリア人なので イタリアオペラをイタリア語で歌える

何度かオペラのチケットを貰ったな

その後 自分もスモーキングを着て何回か行ったな

オペラ座の客席で 一番目立つのは 真っ赤な ROBEだ とわかった


機嫌が悪い日は 朝一から ベートーヴェンの交響曲とか

そんな時は 皆んなスタジオへの足が遠のくと言うか

ウンガロの指名のアシスタントしか中に入れない

僕は当然 ニュメロワンで どんな体調の時でも 仕方がない・・・


さて お仕事

1月後半のオートクチュールのショーが終わると

今度は3月末頃がプレタポルテのショー

準備期間が2ヶ月も無い

クチュールのように全てを内部で作る訳ではないので

1 月のクチュールの時にイタリアの工場の人達が来て

翌日に絵型を渡さないと 間に合いません

クチュールの準備後半からプレタポルテの準備を・・・

当然クチュールの中からのアイデイアも



選ばれると 番号をつけて

でも 終わりは無いのです 時間が許すまで


80年代は 今では考えられないぐらいの組み合わせを作っていた

1回のコレクションで250セット(組み合わせ)

トータルで450〜500着 それに展示会用のシンプルな物をプラス

1コレクションで物凄い数の服が

プラス アクセサリー類が

モデルも40人使い 1人が6セット 7セットを着なければ

始まりの楽屋は まだ良いが

始まって 舞台からモデルが戻ると 走って自分のラックの所に

フィッターが着せつけを手伝い 順番リストに従って出す

ひと回り目は良いけど

どんどん詰まってきて間に合わない時もあった

またまた 舞台に出て行く

楽屋は戦争だ

10人ずつ舞台に出しても45分かかっていた

凄い時代です




絵型を渡す→イタリアでトワル作成→パリで仮縫い→イタリアで修正→アプリケーションを渡す→1回目のサンプルパリ到着→パリ修正→イタリア修正→パリでは音楽 デコレーション マヌカンなどの準備→アクセサリー準備→最後のサンプル到着→ヘアー→最終モデルフィッテイング→アトリエで丈修正→キャビン完成→ボード作成→スタジオだけ夜中の打ち上げ→会場でキャビン準備→お昼にショー→皆んなで打ち上げ→翌日から3日間 社内でフロアショー(特別に組み合わせを組み直す)→担当によるオーダー発注会


お客様は世界中から

当然 シャンパンからフルコースのランチ付き

優雅な時代でした





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